もう、長年、主張しては皆に軽く流される類の話で恐縮です。しかし、未だに 「どっちかっていうとS?M?」みたいな、当たり前の会話に違和感を覚えずにいられないんです。そんでタイトルにあるような発言をうっかりしてしまい、せっかく盛り上がった場の空気を悪くしちゃいます。 確かに、そういうSM関係のお店とかに出入りしてる人とか、そういう仕事してる人とかの友達がいないので(内緒で通ってる人とかいるのかもしれないですが)こっちも断定は出来ないんですが、ごく主観的に見て、人ってだいたい、ちょっとは、痛いのが、快い生き物なのではないかなあ、と思わずにいられないのです。感度は個人差があるにしても。もうどうしようもなく、激しく絶望したときとかって、なんか恋が実った時に似た、体の震えみたいな物があってちょっと気持ち良く無いですか?(あんまり痛すぎる時のには、もう苦しみが全身を覆ってしまって気持ちいいどころの騒ぎじゃない場合もありますけども。)、と勝手に人類を皆マゾヒスト、と断定する短絡的な展開をお許し下さい。 で、そういう震えみたいな気持ちよさって、自分の大好きな誰かが痛い想いをしてるのを、目の当たりにしてるとき、自分の胸がその相手を思いやる優しい気持ちが、痛くて、それが気持ち良い、それが、サディスト、なのでは?と思いこんでしまい、マゾ>サドの図式が私の中に出来上がってしまいました。 本当のサディスト、マゾヒストを自認する方々には、そんな簡単な話じゃないよ、って言われると思いますけども。 ただ、私はどうしても信じる事をやめられないんです。 どんな極悪非道な行いをする人でも、その胸の奥底には、実は少しの優しさがある、と。 その優しい部分に光の当て方を変える事で、世の中の取り返しのつかないような悲しい事件とか、なくなる可能性がある、と。甘いですか? (ところで、高校くらいの時、、サド侯爵の一連の「悪徳の栄え」とかそういう本を初めて読んだときにはすでに、前途の考えで頭がコチコチに固まってたせいか、残酷な場面とかいくら読んでも、生来の読解力の無さも手伝って、ザッヘル・マゾッホの「毛皮のヴィーナス」とかと同じような自虐性を感じたように思います。そういえば、マルキ・ド・サド本人は、小説で想像するほどの、人を死に至らしめるような悪行を重ねた訳じゃなく、残酷ではあったけど、実際に彼が犯した罪と言えば、礼拝堂で聖盃に射精した、とかキリスト像の前でなんか奥さんじゃない人と、姦淫した、とかそういう話が多いみたいで、もう完全に、自分いじめな感じがします。)
by michaelist
| 2006-06-08 23:53
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